意思決定バイアス3 プロスペクト理論

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意思決定の瞬間、当事者の頭の中でいったい何が起きているのだろう?

AIを活用して正しい(と思われる)意思決定の方向がデータで示されたとして、それを採用するかどうかは、結局のところ人間にゆだねられる。
従来から存在する「経験と勘に頼る」あるいは「感情に左右される」意思決定から脱皮できるだろうか。

皆さんは次のようなギャンブルがあったら、どちらを選択するだろう?

質問1
A:コインを投げて、表が出たら20万円受取る、裏が出たら8万円支払う。
B:コインを投げて、表が出ても裏が出ても5万円受取る。

確率論の期待値は、Aの方が有利であるにもかかわらず、ほとんどの人がBを選ぶ。
ここに一種の意思決定バイアスが存在する。
損をするのは、得をするよりもはるかに“イヤ”なのだ。

Aの期待値=20×0.5+(-8×0.5)=6万円、
Bの期待値=5万円

さらにもう1つ別な質問、次のどちらを選択する?

質問2
C:ある失敗プロジェクトがあり、救済策cは100%の確率で1000万円の損失になる。
D:ある失敗プロジェクトがあり、救済策dは10%の確率で損失をゼロにできるが、90%の確率で1150万円の損失になる。

ちなみに、意思決定者のあなたはこのプロジェクトの責任者で、上司から「絶対に成功させてほしい」と依頼されている。
確率論の期待値は、Cの方が有利であるにもかかわらず、ほとんどの人がDを選ぶ。
たとえ確率が10%であっても損失をゼロにできる希望が持てるなら、それに賭ける人が多い。つまり、損失が確定的であるときは、人間はギャンブルを好む性質がある。

Cの期待値=-1000万円、
Dの期待値=0.1×0+0.9×(-1150)=-1035万円

(余談であるが、競馬の最終レースで、その日1日分の負けを取り戻そうと考え、倍率の高い馬に高額を賭けてさらに傷口を広げた、というケースもこれに該当する。)

これらの質問を通して我々が学べることは、この種の意思決定は数学ではなく心理学で理解する必要があることだ。あるいは論理ではなく感情で理解する必要がある、と言い換えても良い。
当事者の感じる価値は、金額や期待値に正しく比例するわけではなく、その当事者の置かれた現状と結果の差に左右される。ダニエル・カーネマン氏は、これをプロスペクト理論として説明した。

私も経営者として20年近く過ごしてきたので、その心理は理解できる。
たとえば、海外で発生した今期の利益が目標達成額の1000万円と見えていて、為替の変動さえなければそのまま確定しそうな時、次の選択肢のどちらを選ぶだろうか。

  1. ある程度の費用を払っても為替を予約して1000万円を確定させる
  2. 金額を確定する時点の為替で良いとする。つまり、利益額は不確実なまま。

この問いに答える前提として、15年以上の長期的な視点で見れば、為替を予約しない方が得であることがわかっていたとする。
そのような前提であっても私なら1番を選ぶ。現時点で確実に目標達成を見込めるなら、多少の経費には目をつぶる。経営者にとっては1年1年が勝負の年である。15年以上の長期視点よりも今の目標達成の価値を高く評価する。

この種の意思決定が確率論の期待値で説明できないのは、いくつかの理由があると考えている。
第一に、この問いは「1回だけ」の意思決定場面を想定している。もし、質問1のコインを投げる行為を100回実施して、そのトータル金額で判断して良いなら、Aを選ぶ人が多くなると思う。1回だけチャレンジする場面を思い浮かべるから「損するのはイヤ」と反応することになるが、100回やれば損する確率は非常に少ないと計算できる。
第二に、企業をとりまく環境はさまざまな要因が関係し、単純な選択問題にならない。特に、意思決定者が置かれた背景は影響が大きい。経営者の任期はそれほど長くないし、市場からは業績発表の都度、株価の変動という評価が下される。短期勝負で結果を求められる人が長期視点で物事を判断するのは難しい。
ただし、1回限りの損得や自分の評価を別にして、本当に会社のための判断ができる人がいれば別かもしれない。質問2について言えば、同様の失敗プロジェクトが社内に10個あって、それぞれのプロジェクトリーダが全員Dを選んだのでは、会社の損失が大きくなる。プロジェクトリーダが全員集まって、全員でCを選ぶことにしようと意思決定できれば、会社の損失は最小に食い止めることができる。もっとも、現実問題としてこのような振る舞いができる人がどれだけ存在するかは、疑問である。多くの場合、失敗は昇進やボーナスの査定に影響するためだ。

まとめ

経済学や論理的な意思決定論では、間違いを犯すこと無く、合理的に判断できる人を前提として論理が組み立てられる。
このような人をエコン(合理的経済人。論理の世界に住む架空の人)と呼ぶ。
結局のところ、意思決定の当事者である我々はエコンではなくヒューマン(普通の人。現実の世界で行動する人)なのだ。
プロスペクト理論にそって言えば、エコンは期待値や金額の大小を広範囲かつ長期的に評価し判断することが可能である。一方で、ヒューマンはそのような判断は不可能で、期待する利益と損失に対する瞬間的な感情反応に従って判断する。

AIによって正しい意思決定の方向がデータで示されたとき、ヒューマンである意思決定の当事者は、示された損失に対して数値以上に過度に反応し、長期的な会社の利益よりも今期の自分の評価を優先する。
しかも、そのようなバイアスがかかっていることを自分は意識しない。
プロスペクト理論を知っていれば、AIが示すデータと自分の選択が違っていることを手掛かりに、自分の判断が自分の感情に左右されていることを自覚できるかもしれない。
ただし、その自覚が生まれたとしても、その後どの選択肢を選ぶのかは意思決定者にゆだねられる。
意思決定を改善するためには、そのような選択の瞬間のプロセスに切り込むしかない。
この場合、どの選択肢を選ぶのかの「正しさ」のよりどころは何になるだろうか。
それを企業として一貫したものに定義できていれば、新たな意思決定の方法論を確立できるかもしれない。